夏の終わり、海とヤドカリと。
8月のカレンダーをめくると、もう長月。
ひとなつが終わりますね。
子どものころの、夏の思い出と言えば、海で遊んだ記憶が鮮やかに思い出されます。
寄せては返す波の運動を見つめていると、永遠の時間に身を委ねることができて、いつまでも、この楽しさが続いてゆくような、でも、どこかで終わってしまうのを、心のどこかでは知っている、なんとなく切ない気持ちがよみがえってきます。
子どもながらにも、「寂寥」といった心の感覚を、繰り返す波の音は、ひそやかに教えてくれていたような気がします。
永遠と瞬間の、よろこびと哀しみ。ひとは、時間というたゆたいの中で遊ぶ永遠の子どもなのかもしれません。
いつまでも色あせない記憶の中には、海の生物たちも豊かに息づいています。
小さなカニ、ヒトデ、そして、どことなくユーモラスなヤドカリ。素敵な家を次々と変えてゆくヤドカリをテーマに書いたエッセイ、すぎゆく夏の思い出を封じ込めた作品、調布FMラジオ「神泉薫のことばの扉」2017.8.31放送分アーカイブより、聴いてみてください。
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