【~那珂太郎の章~試論集『十三人の詩徒』(七月堂)より⑬】
気持ちの良い秋晴れが続きますね。
本日も、試論集『十三人の詩徒』(七月堂)より。
詩人たちの「ひとひらの姿」をご紹介します。
13人目の詩徒、那珂太郎先生。
大学時代一度だけ、研修室へ伺ったことがあります。
穏やかな静謐な佇まいで、お話ししてくださいました。
また、詩の朗読を二度お聞きしました。
美しい高潔な詩人の姿に心震え、本の中へ刻みたいと思い続けてきました。
ようやく、『十三人の詩徒』の頁へ収めることができました。
那珂太郎の詩作品は、日本語の豊かさ、ことばの光に満ち溢れています。
▶那珂太郎(なか たろう/1922~2014 )
福岡県生まれ。戦後を代表する詩人。
ことばの音楽性と叙事性に注目し、初期から晩年に至るまで、
詩集ごとに大きくスタイルを変え、一貫して高潔なことばの花を咲かせました。
「詩作品は、直接だれにむかって書かれるのでもない。それは自らおのれを超えたところの、より大いなる無への供物とでもいふべきであらう。」(「詩論のためのノオト」26)とする
揺るぎない詩意識に則り、独自の詩世界を切りひらきました。
第一詩集『ETUDES』(福田正次郎名義 1950年)には、 虚無と死の力が、
作品の根底に密やかにみなぎっています。
光の背後につねにひろがる闇にも似て
すべての存在の根底に虚無はひそむ
だが ただ一点の灯を支へるのはかへって幽暗であるやうに
虚無こそが むしろ存在に意味をあたへるのではあるまいか
(「蠟燭」)
那珂太郎『那珂太郎詩集』(1969年・思潮社 現代詩文庫)
那珂の詩集において最も印象深い、 美しきことばの伽藍『音楽』は、
歴史を潜って息づくことばの「音楽」が、 魂の内奥へとなだれ込んできます。
燃えるみどりのみだれるうねりの
みなみの雲の藻の髪のかなしみの
梨の実のなみだの嵐の秋のあさの
にほふ肌のはるかなハアプの痛み
の耳かざりのきらめきの水の波紋
の花びらのかさなりの遠い王朝の
夢のゆらぎの憂愁の青ざめる螢火
のうつす観念の唐草模様の錦蛇の
とぐろのとどろきのおどろきの黒
のくちびるの莟みの罪の冷たさの
さびしさのさざなみのなぎさの蛹
(「作品A」)
那珂太郎『音楽』(1965年・思潮社)
(写真:13. 那珂太郎『続・那珂太郎詩集』(1996年・思潮社 現代詩文庫)より)
白紙へと「無への供物」として花開く言語宇宙。
「の」で繋がれた、滑らかな音韻のリズム波打ち、
音が音を呼び、イメージがイメージを結んでゆきます。
ことばの存在自体が自律した生きものとして紙面に息づき、
果てない永遠へと読み手を引き連れていくのです。
▶試論集『十三人の詩徒』(七月堂)
9月11日より、七月堂古書部で店頭販売が始まりました。
また、HPよりオンラインでご購入頂けます。
▶七月堂HP『十三人の詩徒』ご紹介&販売ページ
新しい読者との出会いを待っています!
13人の詩人たちの詩のことば、ぜひ触れてみて下さい!
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